6日は心理カード研究会です:「正義」

6日金曜日17:30から、高田馬場駅戸山口を左に出て目の前の「プロント」で、「心理カード研究会」を開催します。

ご参加費2000円(と、ご注文されたものの代金)のみで、通常5000円以上のセッションを受けて頂ける、とても貴重な機会です。但しセッションはご参加者様に公開で、私ともうひとりのセラピスト、どちらかが担当させて頂きます。
2、3時間くらいはお店にいる予定です。飛び入りや途中からのご参加も歓迎いたしますが、「お問合せ」やメッセージ等でご一報頂けるとお席を確保できるようにいたします。

少しでもご興味を持たれましたら、ぜひ、お越し下さい。よろしくお願いいたします。

 

さて、今日の心理カードは「正義」でした。

今日これを見て思いついたのは、「正しい」こととは何か、ということです。

 

この世に「正しい」ことなどないのではないか、そう思っていた時期もありました。

なぜなら、時代や場所や人が変わると、「正しい」ことの基準も変わるからです。

私の父は結構個性的な方だったのか、父の言う「正しい」ことと学校で教わる「正しい」ことが違うなどということが多くありました。

たとえば書道の時間に学校の先生が教えてくれる書き方と、父のそれとはかなり違い、しかも父は書に対して一家言あったため譲らず、当時の先生も厳しく、どちらが「正しい」のか真剣に悩んだこともありました。

また私は結構歴史が好きで、学生時代はイタリア史、その後は中国史に興味を持って大分本を読みましたが、歴史上「大きなこと」をした人物というのはとても個性的で、いわゆる「常識的」な善悪判断はできず、何でもありという気すらしてきます。

今では正しくないことの筆頭に上げられる、人の生命をうばうことですら、それが認められるどころか推奨されていたときもあったくらいなのですから。

 

そこで私は、この世に絶対的に「正しい」ことはない、しかし今に「適した」ことはある、という考えに至り、それをかなり長く持ち続けてきました。

それが最も良い方に表れたのは、子育てだったかもしれません。

「適した」ことは教えようと思ってはいましたが、絶対的な善悪は決めつけなかったので、余分に腹を立てることは少なかったほうだと思います。

例えば子どもが素直に謝れないということがあっても、もちろんそれは「適さない」ことだからよろしくないと叱ってはおきますが、それを絶対的に悪いとは決めつけなかったので、自分も精神的に楽でした。

余談ですが、自分自身が心の底から反省しないかぎり頑として謝れなかったその子も、成長するにつれて徐々に柔軟に謝れるようになってきているので、もしそんなお子さんがいてもあまり心配することもないのではと思います。

 

しかし、最近になって、やはり絶対的な「正しいこと」、「正義」というのはあるのではないかと思い始めました。

ただしそれは、とてもシンプルなこと、単純なことなのではないかと思っています。

 

まわりの人を幸せにすること、これが「正義」なのではと思っています。

 

何のために生まれてきたのか、いろいろ考えましたが、今では人はやはり幸せになるため、この世を幸せにするために生まれてきたのだと思っています。

それならば、その目的に生きることこそが「正しい」こと、「正義」を貫くことではないでしょうか。

もちろん、自分自身も「人」のひとりです。ですから、自分を犠牲にして、というのは違うと思います。

人の喜びが、無理せずそのまま自分の喜びとなる、それが「正義」なのだと思っています。

 

おかげ様で私は今の仕事にめぐり合い、クライアント様がすっきりされて良くなる方へ向かわれたと思うとき、それをとても大きな自分の喜びとして感じることができるようになりました。

ですからこれを自分の「正義」としてよりスキルを上げるために、日々努力を重ねていくのが楽しくてたまりません。

有り難いことだと思い、深く感謝しています。

 

「正義」はこれだけ。そこに人の幸せがあること、です。

深く考える必要もなく、実にシンプルです。

あとは「適した」ことを選んでいけば良いだけです。

 

それが今の私の確信です。

 

お読みいただきどうもありがとうございました。

皆さまのまわりにも幸せが広がりますように。