藝術の生まれるところ:「開心」

久しぶりに予定のない一日、なんと臨時営業していた行きつけの店に行き、この世で最も素晴らしいお茶を頂きました。








ここのお茶はもはや、単なる飲み物でも嗜好品でもなく、とても身体に良いのですがもちろん健康飲料とも言えないと思います。

それは、まさに、「芸術品」なのです。

このお茶を頂くことは、「芸術」の香を感じ、色を眺め、口に含み味わい、そして「芸術」を体内に取り入れることであり、「芸術」の神と対話するようなとても官能的で神聖なひとときだと思うのです。


お茶に気持ちよく酔いしれているとオーナーで小説家のS先生が来てくださり、いろいろお話させて頂きました。
どうして世の中には美味しくないお茶が溢れているのか、という話から始まり、「本物」とは何か、ということについての意見を交わしました。
そうして至った今日の結論は、「本物」は地味だが人間の「第三層」に触れるものであり、芸術的要素を多分に含むものではないか、ということでした。


この「第三層」とはS先生の記憶によると、かのフランス文学者、桑原武夫先生が何かの論文の中で書かれていた論によるもので、人の心の中を3層に分けたいちばん下だそうです。
第一層は現在の「文明」などに影響される表層だそうで、第二層がその「文明」の積み重ねで「習慣」や「文化」ともいわれるもの、そして第三層は「カルマ・マンダラ」、といい、文化の基層になるものなのだそうです。「カルマ・マンダラ」は、「方丈記私記」や「ゴヤ」を書いた堀田善衞先生の論だったかもしれないとのことでした。
帰ってからインターネットで調べても検索に上がらずよくわからなかったのですが、心理学でいうところの「表面意識」「潜在意識」「無意識」の3層に対応させてもそう大きくは違わないのではないかと思います。

そしてこの「第三層」に入ることができるのは、真の「芸術」のみなのではないかという話になりました。

ここでいう「芸術」とはふつうに使われる意味ではなく、人間の心のいちばん奥まで届くような何かを含んだもの、というような意味です。
言い換えれば、真の「芸術」とは「第三層」とか「無意識」とかいわれるところまで入りこめるもののことをいうのであり、そこまでいかないものは「真の芸術」と呼ばれるには値しないのではないかということでもあります。

たとえばモーツァルトの音楽が感情を揺さぶり生命の力を呼び起こすのは、「モーツァルトのカルマ」とでもいうものが演奏家によって「再現」され、それにわたしたちの「カルマ」が共鳴するからなのでしょう。
そしてこのお店の、本物のお茶もまた、芸術なのです。
わたしの感覚ではこの一杯の茶の中に森羅万象があり、「武夷の仙人古より植うる」とうたわれる悠久の茶文化を生み出した先人たちの「カルマ」がここにあり、それを体内に摂り入れ五感で感じることによって自分の「カルマ」が共鳴し揺さぶられ、だからこそ、たかが茶されど茶、それはわたしの錆び付いた意識を刺激し、呼び起こし、時間はかかりましたが徐々に内面から変えていったのだと思います。

中国茶の世界にはヴィジュアル的にきらびやかな、華やかな「茶藝」といわれるものもあります。
けれどもここのお茶に、それは不思議と似合わない気がします。
わたしが本物と思い続けているクラシックフロストのクリスタルボウルも、漢字二文字しか書いていない心理セラピーカードも、実に地味です。
そしてどちらも「真の芸術」だとわたしは信じています。
そう、真の心理カウンセリングも「芸術」なのだとわたしは思っています。
人間心理の「第三層」に、「無意識」にアクセスして、そこから人を変えることができるのであればそれは芸術、アートというものだとわたしは思っているからです。

そして芸術が生まれるところも、また、「第三層」「無意識」なのではないでしょうか。

先日の「ヒーリング心理ワークショップ」で、「ジョハリの窓」というものを勉強しました。
人間の心の中には4つの窓があるという話です。
左上に「自分も他人も知っている自分」、右上に「自分は知っているが他人は知らない自分」、左下に「自分は知らないが他人は知っている自分」、そして右下にあるのが「自分も他人も知らない自分」なのだそうです。
左上の「自分も他人も知っている自分」の窓は縦横同じ比率で大きくなることもあり、そうするとそれにつれて他の3つの窓の面積は減ってきて、「自分も他人も知らない自分」のところも左上から「知っている」に変わってくるのだそうです(全体の大きさは変わらないということです)。そしてそこに「隠された才能」があるという話でした。

このいちばん右下、「自分も他人も知らない自分」の隅になにが隠されているのか、わたしはそこにとてつもないロマンを感じます。
おそらく一生涯、自分も他人も気づかない一点なのでしょう。
そこになにがあるのか・・・もちろんわかりません。
けれども、もしかしたら「芸術」はここから生まれるのではないかという氣がしています。
そしてその隅こそが、「第三層」「無意識」なのかもしれません。

そして「第三層」はどこにあるのか・・・先日の脳神経外科の先生の話でいえば、まさにこれこそが「海馬」なのだそうです。

「本物」とは「芸術的」なものであり、その「芸術」とは「第三層」から生み出され、「第三層」に響くものではないかというのが、今日のS先生とわたしの結論のようでした。

さて、今日はお店の奥では「本物」の柿渋染め作品を販売していました。
ここで、ずっと探していた心理セラピーカードの袋を求めました。



もちろん、「本物」の柿渋染めです。
自分が「本物」と信じるカードに相応しい入れ物だと思い、嬉しくなりました。


新しい袋に納められた心理セラピーカード、今日の一枚は「開心」でした。

こんな対話のあとですから、今日は「第三層」=「無意識」を開きましょうというメッセージに見えました。
ではどうやって「第三層」を開くのでしょうか。
これはやはり、できるだけ「真の芸術」=「藝術」に触れることだと思います。
人間の「第三層」の叫びともいえる「藝術」に触れ、自分の「第三層」を刺激することによってそこが活性化され、ともすれば断絶されがちな第二層より上層へとつながり、更なる自分の可能性が広がってくるような氣がします。

少し表現が難しくなってしまったでしょうか。

まずはご自分が「本物」と思われるものに意識して触れる機会を増やしてみてはいかがでしょうか。
その積み重ねがきっといつか、心の深いところに働きかけてそこを開き、新たな才能や世界が広がるかもしれません。
音楽会や展覧会に出かけずとも、上質な小説や詩でも良いと思います。
心を揺さぶるものをみつけ、心を揺さぶられる機会を増やしていくと、心の新たな部分が開かれ、世界も開かれていくのではないでしょうか。

お読みいただきどうもありがとうございました。
皆さまにも更に新しい、素晴らしい世界が広がりますように。