パブロ・カザルスと「自由」

霧雨の降る昼下がり、行きつけの茶房でお茶を愉しんでいると、懐かしく聞き覚えのある音楽が流れてきました。

心を揺さぶるその調べに、思わず店員さんに訊いてみると、カザルス/ホルショフスキー/シュナイダーの弾くメンデルスゾーンの三重奏曲で、中学生の頃繰り返し聴いたアルバムでした。

 

子どもの頃からほぼクラシック音楽のみを聴いて育ったわたしはもちろんクラシック音楽好きなのですが、中でも別格なのがチェリストのパブロ・カザルスなのです。

幼い頃からピアノとヴァイオリンを習わせてもらっていましたが、中学生のある日、ラジオから流れてきたカザルスの弾くバッハの無伴奏チェロ組曲には衝撃を受け、思わず正座して聴きました。

心の奥底まで響くような魂の音、抑えた表現なのに内に熱い感情を感じ、こんな素晴らしい音を出すカザルスとは一体どんな人なのだろうかと調べまくったものです。

以来わたしの耳の奥からはカザルスのチェロの調べが離れず、暇さえあればそのことを思ってときに胸は苦しくなり、授業中などよくぼうっとしていたものです。

それはもしかしたら、わたしの初恋だったかもしれません。

初恋の人?パブロ・カザルス
初恋の人?パブロ・カザルス

パブロ・カザルスは19世紀末、スペインのカタロニアに生まれました。

若いころからチェロの名手として名高く、それまで練習曲としてしか見られていなかったバッハの「無伴奏チェロ組曲」の音楽的価値を発掘し、チェロの名曲として世に知らしめました。

一方で、スペイン内戦とフランコ独裁政権に抗議して反ファシズムの姿勢を一貫させ、そのためには演奏活動さえ中止するほどでした(この時代の音楽家とファシズムの関係には興味深いものがあります)。

カザルスの故郷カタロニアは反フランコだったため自治権を取り上げられ、カタロニア語を禁じられるなどの制裁を受け、多くの亡命者が過酷な道をたどることになったのです。

 

そんなカザルスの音楽の根底に流れるものは、やはりその精神の「自由」なのかもしれません。

彼の音のとにかく壮大な自由闊達さには、独裁とは相容れないものを感じます。

けれどもその闊達さはやはり、苦しみや悲しみを知っていてこそのもののようにも感じます。

 

わたしの言葉の感覚では、「自由」といっても彼の音楽は、「自由奔放」ではないのです。

抑制がきいていて品格があり、「自由闊達」なのです。

 

今日流れていたアルバムの最後は、カタロニア民謡の「鳥の歌」です。

カタロニアの鳥は、「ピース( peace)」と鳴くそうです。

この「鳥の歌」がまた、本当に素晴らしいのです。

カザルスの音楽の根底にあるものは自由と平和への祈りなのだと思っていますが、それが最も表われているのがこの「鳥の歌」なのだと思います。

 

カザルスの「無伴奏チェロ組曲」の方は今でも折にふれて聴くのですが、こちらのライヴ・アルバムの方は思春期にあれほど惚れ込んで聴き続けたのに、いつしか聴かなくなっていました。

今日また耳にしたということは、何か意味があるのでしょうか。

そして今日の心理セラピーカードもまた、「自由」でした。

 

ピアニストまたはヴァイオリニストとしては大成できなかったわたしですが、どういう御縁なのかまた、クリスタルボウルという音の世界に入っています。

率直に言うと、特に始めたばかりの頃は、こんなのは「音楽」ではない、くらいに思っていました。

今でもクラシック音楽などの旋律のある「音楽」とは一線を画すものだと思っています。

しかしこれもまた「音」の世界であり、シンプルなだけにその「音」が精神に与える影響はとても深く、「音」に何を込めるかにおいて奏者は大きな責任を担っているのだと思うようになりました。

 

もちろん演奏を聴いて頂いている方により良くなって頂くこと、身体や心の状態がより活き活きとなって頂くことがいちばんの願いではあります。

しかし今日このアルバムをまた聴いたことによって、わたしはそれに加えて自分の音にも自由と平和への祈りを込め、自由闊達な音を目指したいと思いました。

クリスタルボウル界のカザルスを目指す、というと僭越すぎるでしょうか。

けれど志は高く、わたしにとって遥かな高みにいるカザルスをしっかり意識して、自分の到達しうる最高レベルまでは進んでいきたいと思っています。

 

「自由奔放」ではなく、品格のある「自由闊達」を目指したい、そう感じた今日の「自由」のカードでした。

 

今日はちょっとマニアックな話になってしまったでしょうか。

お読み頂きどうもありがとうございました。

皆さまもそれぞれの世界で自由に羽ばたかれますように!