「決断」

「決断」・・・字面にもなんだか強いものを感じる二文字ではないでしょうか。

39枚ある心理セラピーカードの中でも、引いたときにはっとさせられる一枚です。

 

不思議な力に気圧されたようにクリスタルボウルを始めると「決断」してから今まで、何だか「決断」の連続だったようにも感じます。

外から見たら正気の沙汰ではないと思われるような決断も、少なくはなかったと思います。

いえ、自分でもたまに、どこか狂っているのではないかと思うこともありました。

それらの思い切った「決断」が「正しい」か「正しくない」かはわかりません。

ただ、これらの「決断」の積み重ねが、今この瞬間の「わたし」を創ってきたことは確かだと思います。

 

自分で「決断」するということは、自分で自分の責任をとるということだと思っています。

自分で選んだのですから、結果がどうであれ、文句は言えないはずです。

結果は世間的基準でみれば、「失敗」になるかもしれません。

けれども自分で選んだことだから後悔はしないと決めていますし、実際しないでしょう。

 

いわゆる「成功」したいという思いを手放した状態なのかもしれません。

 

ちょっと暗い話で恐縮ですが、わたしは大学生のときに母を、その3年後に父を、相次いで癌で亡くしています。

少し間はありましたが約3年半の間、病気と戦う両親を見つめ、苦しみながらこの世を去っていくところを見送りました。

それからのわたしの原点には、「現代人はこんなに苦しんで世を去るしかないのだろうか(いや他の道があるはずだ!)」「綺麗に人生を終わらせたい(そのためには全力で生きるのだ!)」という思いがあります。

お医者さんの指示通りにして苦しんでいったふた親の姿を見ながら、自分の身体を病院に「お任せ」することに疑問をもち、自分の健康は自分で責任をとるものだという思いを強めていきました。

野口整体はその考えにぴたりとはまったので、わたしもそれを熱心に学び、日常の動作から育児のしかたまで「常識」外れの健康法を実践し、今のところ、おそらく同い年の標準的な現代人のなかでは体力があるほうだろうと自負しています。

 

ちなみに野口整体の目的は、決して「無病息災」ではありません。

病気するときはしっかりする、身体の弾力があって元に戻れるのを良しとするのです。

まして長寿なども目指していません。

長さではなく密度の濃い人生を送ることが目的であり、活き活きと与えられた「生」を生ききることが目的で、ある意味とてもストイックな道です。(わたしも人には勧めません)
そういう意味では、「健康法」ですらないでしょう。

 

そうしてわたしは自分の身体に責任をとることを、自分の健康は自分で「決断」して保っていくことを学びました。

「自分で決断」、これは身体のためにも重要なのです。

極端な例えですが、寒中水泳なども自分が本当にやりたくてやっているのならそうそう身体は壊れないものですが、命令されていた場合、すぐ冷え切って何らかの病気になるものです。

「自分で決断」しているかどうか、これは意外と、想像以上の違いを生み出すのです。

 

もちろんそれは、心理的にも同じことではないでしょうか。
「自分で決断」したことなら、傍からみてどんなに大変に見えようとも本人は楽しいでしょうし、たとえ失敗したとしても後悔はないと思います。

けれども、いわゆる世間的な「成功」を求めているうちは、なかなか「決断」できないようにも感じます。

世間の基準でどれが最も良いか考えることがいけないとは言いませんが、それはあくまで参考程度であり、最後は自分が何をしたいのか、何が好きなのか、何に共感できるのか、それをしっかり見つめて自分で「決断」してこそ、迷いのない後悔のない人生が送れるのではないでしょうか。

 

親鸞が法然と出会ったとき、もし法然を信じたために地獄に堕ちたとしても後悔はしないという意味のことを言ったそうですが、そのくらいの覚悟を持って「決断」できたとき、人生は大きく変わりはじめるのかもしれません。

 

その親鸞の有名な言葉、「自身を深信する」、最近のわたしの好きな言葉でもあります。

本来、とてもとても深い意味がこめられているのですが、そのまま文字通りに解釈しても良い言葉だと思います。

「世間」ではなく、自分を深く信じ、そして決断する、その連続がほんとうの自分へと導いてくれるような氣がしています。

 

「決断」するときはハラを決め覚悟を決めて決断しよう、そうして誰のものでもない自分の人生を活き活きと生きよう、そんな思いの湧き出てきた今日の一枚でした。

 

お読みいただきどうもありがとうございました。

明日の更新はお休みさせて頂きますが、皆さまにとって素晴らしい一日になりますよう願っています。