屈原と「漁父辞(漁夫の辞)」〜旧端午に寄せて

今日は旧暦5月5日、端午の節句です。

その起こりは、中国戦国時代の楚の宗室で詩人の屈原にまつわる話と言われています。




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横山大観の「屈原」



かの「合従連衡」の張儀の策にはまって滅びの道を選択する楚の国、

その内部にはやはり政治の腐敗があり、真に祖国のことを思う屈原の進言は退けられ左遷され、

絶望して石を抱いて汨羅(江)に身を投げたのがこの日と言われています。


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汨羅江(湖南省)

後に人びとが屈原の無念を鎮めるため、

また、魚が屈原の遺体を喰べないようにと、

笹の葉に米飯を包んで川へ投げたのが、

「粽」の由来と言われています。


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中国の粽


屈原の詩は楚(現在の湖北省・湖南省)の人らしく感情激しく、時に魂から血を流すかごとくです。代表作は「離騒」。




「楚辞」に入水前の屈原と漁師との対話を描いた、

「漁父辞(漁夫の辞)」という詩があります。



~(前略)~


屈原曰はく

世を挙げて皆濁り 我独り清めり

衆人皆酔ひ 我独り醒めたり

是を以て放たれたりと


(俺ひとりが清いのだ…)


漁父曰はく

聖人は物に凝滞せずして 能く世と推移す

世人皆濁らば 何ぞ其の泥を淈して 其の波を揚げざる

衆人皆酔はば 何ぞ其の糟(かす)を餔(くら)ひて 其の釃(しる)を歠(すす)らざる

何の故に深く思ひ高く挙がりて 自ら放たしむるを為すやと


(清濁併せ飲みなされ)


屈原曰はく

~(中略)~

寧ろ湘流に赴きて

江魚の腹中に葬らるとも

安んぞ能く皓皓の白きを以て

世俗の塵埃を蒙らんやと


(いや、併せ飲めない!)


漁父莞爾(かんじ)として笑ひ 枻(えい)を鼓(こ)して去る

歌ひて曰はく

滄浪の水清まば 以て吾が纓(えい)を濯(あら)ふべし

滄浪の水濁らば 以て吾が足を濯ふべし

遂に去りて復た与に言はず


(水が清ければ冠のひもを洗い、水か濁っていれば足を洗えば良いのさあ♪)


~・~・~


カッコ内は、わたしのたいへんいい加減な意訳です。

真面目で不器用な屈原、わたしは決してきらいではありません。


漁父の「莞爾とした(にっこりとした)笑い」にはどんな意味が込められているのでしょうか・・・