なぜわたしは「クリスタルボウル奏者」なのか

ふと珈琲が飲みたくなって喫茶店に入ったら
途端に大雨・・・




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ここで個人セッションをしたこともあります




雨宿り中にひと記事です。





昨夜のクリスタルボウル演奏会で、
ずっと疑問に思っていたことが解けた感じがありました。



以前にも書いたように、わたしは幼少期からヴァイオリンとピアノを習っていて、

ひところはセミプロとして活動していたこともあり、
(今でもある音楽家派遣事務所に籍だけはあります)


学生時代には競技ダンス部でかなりの成績を残した経験もあります。




つまり芸事にはかなり器用な方なのですが、
なぜ今まで出会った中でいちばん単純な、

わるくいえば一見いちばん面白みのないクリスタルボウル奏者を仕事とするようになったのか、

自分でもその巡り合わせに不思議を感じていました。




断固認めたくはなかったものの、

ちゃんとしたプロのヴァイオリ二ストにもピアニストにもなれなかったから
仕方なくクリスタルボウルで妥協しているのではないか、

そんなふうに感じていたこともあります。




ところが昨夜、
わたしのクリスタルボウル演奏を初めて聴いてくださった方にこう仰っていただきました。




わたしの演奏には「自分」の主張が全くない、

自分の才能や技量を見せつけるのではなく、
ただ純粋に「クリスタルボウル」を聴いてほしいという思いだけが伝わってくる、と。





ああ、だからわたしはクリスタルボウル奏者になったのだ、と、
わたし自身、はじめて腑に落ちることができました。


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わたしも生身の人間です。
自分の「素晴らしさ」を見て欲しいという思いはあります。

ところが確かに、
クリスタルボウルを奏でている時だけは、

全くそれがない。




練習に練習を重ねて高度な技を習得する必要があるヴァイオリンやピアノでは、
演奏するときやはり「上手くやるぞ!」と意気込みます。

上手に弾けたときは、
正直なところ内心得意になります。




それがいけないというのではありません。
現に今でもわたしはクラシック音楽が大好きですし、

高度なテクニックを誇る演奏家の音楽に酔いしれることもあります。

それはそれで、
また感動を呼ぶ素晴らしい世界なのです。





ところが、
クリスタルボウルにはそんな器用なテクニックは一切要らない。


技術の習得を当然としていたわたしにとって、
自らを誇示できるようなものは何もない。







それがかえって良いのでしょう。







別にわたしは俗離れした聖人でもなんでもありません。
たぶん人並みかそれ以上に自己顕示欲もあります。



でも、不思議と
クリスタルボウル演奏中には「無」になれる。
「何もない」から。






だからわたしはクリスタルボウル奏者になったのだと、
とてもすっきり納得できたのでした。




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雨が上がりました^^